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グラフェンの幾何

鉛筆の芯である黒鉛は、炭素原子のシートが何層も積み重なった構造を持っている。そのたった一層、厚さ原子1個分の薄膜を取り出したものがグラフェンである。このような身近な物質から得られる極薄のシートの中で、低いエネルギーを持つ電子は、まるで質量を持たない粒子のように振る舞う。なぜ、たった一枚の炭素シートから、これほど不思議な性質が生まれるのだろうか。

電子の波としての性質は、原子同士がどのように結びついているかに強く左右される。グラフェンでは、1つの炭素原子が隣り合う3つの炭素原子と結合し、美しい蜂の巣状のハニカム構造を形作っている。この原子の配置と繰り返しの規則性を数式で表すことこそが、電子の波やエネルギーを計算するための第一歩となる。まずは、この蜂の巣格子の幾何学的な構造を解き明かすことから始めよう。

01

隣の原子へずらしても重ならない

結晶の規則性を調べる基本手法は、模様全体を平行移動させて元とぴったり重なるかを確かめることだ。もし全体が重なれば、ずらした先にも全く同じ原子の並びが存在することになる。まずは蜂の巣格子上の炭素原子を1つ選び、隣の原子に向かって、炭素間距離 $a$ だけ全体をずらしてみよう。すると、原子の半分は別の原子の位置に重なるが、残りの半分は六角形の中央の空洞へ移動してしまう。なぜ一度にすべてが重ならないのだろうか。原子から伸びる3本の結合に注目すると、1本の結合が上を向いている原子と、下を向いている原子の2種類が存在することがわかる。上向きの結合を持つ原子を、下向きの結合を持つ原子に重ねようとしても、結合の向きが逆であるため模様全体としては重なり合わないのだ。では、上向きの結合を持つ原子から、別の「上向きの結合を持つ原子」へ向かってずらすとどうなるだろうか。今度は、蜂の巣全体の模様がぴったりと重なる。この上向きの原子だけを抜き出してみると、正三角形を隙間なく敷き詰めた網目が現れる。これが三角格子である。同様に、下向きの原子だけを抜き出しても、全く同じ三角格子が少し平行移動した位置に現れる。ここで、上向きの原子をAサイト、下向きの原子をBサイトと呼ぶことにしよう。どちらも同じ炭素原子だが、周囲の結合の向きなどの環境が異なっている。つまりグラフェンは、単一のシンプルな格子ではなく、三角格子の各点にAとBという2つの原子をペアで配置した構造なのである。

 
02

判子に二点を彫る

蜂の巣格子全体は、1つのAサイトと、そのすぐ真上にある1つのBサイトをペアにして繰り返すことで作成できる。ここで、このAとBのペアを彫り込んだ判子をイメージしてみよう。判子を1回押すごとに、AとBの組が1つずつ用紙の上に増えていく。原点にあるAサイトから出発し、右上のAサイトへ向かう矢印を $\mathbf{a}_1$、左上のAサイトへ向かう矢印を $\mathbf{a}_2$ とする。この2本を隣り合う二辺とする菱形の判子を作る。この判子のAの印を各Aサイトの位置に合わせ、向きを変えずに押していくと、菱形が隙間なく敷き詰められて蜂の巣格子全体が完成する。判子を押す位置は、2本の矢印に沿ってそれぞれ何回進めたかで指定できる。原点から $\mathbf{a}_1$ の方向に $m$ 回、$\mathbf{a}_2$ の方向に $n$ 回進んだとき、判子のAの印が着く位置 $\mathbf{R}$ は、次のように書き表せる。

 

$$\mathbf{R}=m\,\mathbf{a}_1+n\,\mathbf{a}_2 \tag{1}$$

ここで $m, n$ は整数であり、矢印と逆方向に進む場合は負の数で表す。たとえば $m=1, n=-1$ とすれば $\mathbf{a}_1 - \mathbf{a}_2$ となり、真横にある隣のAサイトへ到達する。この2本の矢印を組み合わせるだけで、すべてのAサイトの位置を指定できるのだ。このように、判子を押す位置 $\mathbf{R}$ 全体を集めた集合のことを物理ではブラベー格子と呼び、基準となる2本の矢印 $\mathbf{a}_1, \mathbf{a}_2$ を基本並進ベクトルと呼ぶ。結晶全体をベクトル $\mathbf{R}$ だけ平行移動しても元の原子配置と完全に重なるが、この移動操作を格子並進という。また、判子に彫ったAとBのペアのように、各格子点に配置する原子のグループを基底と呼ぶ。そして、判子1回分に相当する最小の繰り返し領域である菱形を単位胞と呼ぶ。グラフェンの単位胞の中には、AサイトとBサイトが1つずつ、計2個の炭素原子が含まれている。それでは、この判子の二辺である基本ベクトル $\mathbf{a}_1, \mathbf{a}_2$ を、炭素間距離 $a$ を用いて具体的に計算してみよう。

03

結合の矢印から判子の二辺を求める

判子の二辺を表す基本ベクトル $\mathbf{a}_1, \mathbf{a}_2$ は、原点のAサイトから、右上および左上のAサイトへ向かうベクトルであった。図を辿ると、Aサイトから真上のBサイトを経由し、結合を2本順にたどることで次のAサイトへ到達できることがわかる。つまり、A $\to$ B $\to$ A という2つの矢印を合成すれば、基本ベクトルを導出できる。$x$ 軸を右方向、$y$ 軸を上方向に取り、ベクトルを $x$ 成分と $y$ 成分の組で書き表そう。なお、グラフェンの炭素間距離の実測値は $a = 0.142\text{ nm}$ である。Aサイトから、隣接する3つのBサイトへ向かうベクトルを $\boldsymbol{\delta}_1, \boldsymbol{\delta}_2, \boldsymbol{\delta}_3$ と置く。これらの長さはいずれも $a$ である。正六角形の内角の性質から、これら3本のベクトルは互いに $120^\circ$ ずつ開いている。1本目の $\boldsymbol{\delta}_1$ を真上の $+y$ 方向に取ると、

$$\boldsymbol{\delta}_1=a(0,1) \tag{2}$$

となる。これを時計回りに $120^\circ$ 回転させると $\boldsymbol{\delta}_2$ となり、成分は $a(\sin120^\circ, \cos120^\circ)$ と書ける。反時計回りに回転させた $\boldsymbol{\delta}_3$ は、$x$ 成分の符号を反転させればよい。$\sin120^\circ=\frac{\sqrt{3}}{2}$、$\cos120^\circ=-\frac{1}{2}$ を代入すると、残りの2本は次のように求まる。

$$\begin{aligned} \boldsymbol{\delta}_2&=a\left(\frac{\sqrt3}{2},-\frac12\right)\\ \boldsymbol{\delta}_3&=a\left(-\frac{\sqrt3}{2},-\frac12\right) \end{aligned} \tag{3}$$

最近接の三方向、互いに120°(長さ a)

$\boldsymbol{\delta}_j$ はAからBへ向かう矢印なので、逆にBからAへ戻る矢印は符号を反転させた $-\boldsymbol{\delta}_j$ となる。原点のAサイトから真上のBサイトへ $\boldsymbol{\delta}_1$ だけ進み、そこから右上のAサイトへ $-\boldsymbol{\delta}_3$ だけ進むと、右上への基本ベクトル $\mathbf{a}_1$ になる。同様に、後半を $-\boldsymbol{\delta}_2$ に変えれば、左上への基本ベクトル $\mathbf{a}_2$ が得られる。

$$\begin{aligned} \mathbf{a}_1&=\boldsymbol{\delta}_1-\boldsymbol{\delta}_3 =a\left(\frac{\sqrt3}{2},\frac32\right)\\ \mathbf{a}_2&=\boldsymbol{\delta}_1-\boldsymbol{\delta}_2 =a\left(-\frac{\sqrt3}{2},\frac32\right) \end{aligned} \tag{4}$$

式(4)を用いて、基本ベクトル $\mathbf{a}_1$ の長さを計算してみよう。

$$\vert{}\mathbf{a}_1\vert{} =a\sqrt{\left(\frac{\sqrt3}{2}\right)^2+\left(\frac32\right)^2} =a\sqrt{\frac34+\frac94} =\sqrt3\,a$$

これが三角格子の格子定数、すなわち隣り合う格子点どうしの距離である。炭素間距離が $0.142\text{ nm}$ であるのに対し、繰り返しの最小周期である格子定数は $\sqrt{3} \times 0.142 \approx 0.246\text{ nm}$ と、少し長い値になる。注意点として、本解説では記号 $a$ を炭素間の結合長として扱っているが、専門書によっては格子定数である $\sqrt{3}a$ の方を $a$ と表記している場合が多い。教科書や論文の式を比較する際は、記号 $a$ がどちらの物理量を指しているかに注意が必要だ。原子の配置は、格子並進ベクトル $\mathbf{R}=m\mathbf{a}_1+n\mathbf{a}_2$ だけ移動させても元と完全に重なる。では、この結晶の中を伝わる電子の波は、この移動によってどのように変化するのだろうか。

04

原子が重なるとき、波はどうなるか

水面に浮きを2つ浮かべ、まっすぐな波を送る場面を想像してみよう。置く場所によって、2つの浮きが同時に持ち上がることもあれば、一方が上がるときに他方が下がることもある。この一周期の中での振動のタイミングを表す量が位相であり、2つの場所における位相のずれを位相差と呼ぶ。波面が平行な直線として広がる波を平面波と呼ぶ。ある時刻における平面波の形は $\cos(\mathbf{k}\cdot\mathbf{r})$、あるいは複素数表示を用いて $e^{i\mathbf{k}\cdot\mathbf{r}}$ と書ける。ここで $\mathbf{r}=(x,y)$ は位置座標、$\mathbf{k}$ は波の進行方向を指す波数ベクトルであり、その大きさは波長 $\lambda$ を用いて $\vert{}\mathbf{k}\vert{} = \frac{2\pi}{\lambda}$ と定義される。位置 $\mathbf{r}$ から格子並進ベクトル $\mathbf{R}$ だけ移動した点 $\mathbf{r}+\mathbf{R}$ では、位相は $\mathbf{k}\cdot\mathbf{r}$ から $\mathbf{k}\cdot(\mathbf{r}+\mathbf{R})$ へと変化する。その差額にあたる位相差は $\mathbf{k}\cdot\mathbf{R}$ である。もしこの位相差が $2\pi$ の整数倍であれば、移動の前後で波の山と谷は完全に一致する。逆に整数倍でなければ、原子の並び自体は重なっていても、波の振幅自体はズレてしまう。この位相のずれを複素数 $e^{i\mathbf{k}\cdot\mathbf{R}}$ で表したものを位相因子と呼ぶ。位相差が $2\pi$ の整数倍だけ異なっていても、オイラーの公式の性質 $e^{i 2\pi n} = 1$ により、位相因子自体は全く同じ値をとる。すると、波長や向きが異なる2つの波であっても、すべての格子並進 $\mathbf{R}$ に対して全く同じ位相因子を与える現象が起こり得る。これは格子点上で区別がつかないことを意味する。では、波数の差 $\mathbf{G}=\mathbf{k}'-\mathbf{k}$ がどのような値のときに、この現象が起きるのだろうか。2つの波の位相因子を書き下すと、

$$e^{i\mathbf{k}'\cdot\mathbf{R}} =e^{i(\mathbf{k}+\mathbf{G})\cdot\mathbf{R}} =e^{i\mathbf{k}\cdot\mathbf{R}}e^{i\mathbf{G}\cdot\mathbf{R}} \tag{5}$$

となる。すべての格子並進 $\mathbf{R}$ において両者が常に一致するには、右端の項 $e^{i\mathbf{G}\cdot\mathbf{R}}$ が常に $1$ になればよい。

$$e^{i\mathbf{G}\cdot\mathbf{R}}=1 \quad\text{for every }\mathbf{R} \tag{6}$$

この条件式(6)を視覚的に理解するために、波数の差 $\mathbf{G}$ を使って描く波 $\cos(\mathbf{G}\cdot\mathbf{r})$ を考えてみよう。式(6)は、すべてのAサイトという格子点の上に、ちょうど波の山が重なるという条件を意味している。波の向きや波長を変えながら、すべてのAサイトで山が揃う特別な $\mathbf{G}$ を探してみよう。たとえば、波長を $\lambda=1.50a$ にして、山の線を $\mathbf{a}_2$ の方向に沿わせると、すべてのAサイトの列の上に山が1本ずつ重なる。このときの右上向きの波数の差 $\mathbf{G}$ を $\mathbf{b}_1$ と名付けよう。波 $\cos(\mathbf{b}_1\cdot\mathbf{r})$ において、位置を $\mathbf{a}_1$ だけずらすと隣の山へ移るため、位相差は一周期分進んで $\mathbf{b}_1\cdot\mathbf{a}_1=2\pi$ となる。一方、$\mathbf{a}_2$ の方向に移っても同じ山の上に留まるため、位相差は $\mathbf{b}_1\cdot\mathbf{a}_2=0$ である。波長はそのままに、山の向きを $\mathbf{a}_1$ に沿う向きへ切り替え、このときの左上向きの波数を $\mathbf{b}_2$ とする。今度は $\mathbf{a}_1$ だけ移ると同じ山の上にいて位相差は $0$、$\mathbf{a}_2$ だけ移ると隣の山に着いて $2\pi$ になる。これら2つの波の性質を内積でまとめると、次の関係式が得られる。

$$\begin{aligned} \mathbf{b}_1\cdot\mathbf{a}_1&=2\pi, &\mathbf{b}_1\cdot\mathbf{a}_2&=0,\\ \mathbf{b}_2\cdot\mathbf{a}_1&=0, &\mathbf{b}_2\cdot\mathbf{a}_2&=2\pi \end{aligned} \tag{7}$$

山の線の向き — どの列に沿わせるか
山と山の間隔 — 波長 λ
1.50 a

波 $\mathbf{b}_1$ において、山と山の間隔を半分にするとどうなるだろうか。元の山の間に新しい山が1本ずつ増えるが、すべてのAサイトで山が揃うという条件は満たされたままである。波数の大きさは波長に反比例するため、この波数は $\mathbf{G}=2\mathbf{b}_1$ と表される。このように、式(6)を満たす $\mathbf{G}$ は無数に存在する。これらの特別な $\mathbf{G}$ の位置関係を調べるために、$G_x$ と $G_y$ を軸とする座標平面を導入しよう。この平面を逆空間、または波数空間と呼び、各 $\mathbf{G}$ の先端を点としてプロットしていく。$\mathbf{b}_1$ と $2\mathbf{b}_1$ ならば、原点から同じ向きに並び、$2\mathbf{b}_1$ の点は2倍遠くに位置する。原点から遠い点ほど、対応する波の山の間隔は狭くなる。この平面上で式(6)を満たす $\mathbf{G}$ に印をつけていくと、点が規則正しい格子状に並ぶ。この点の集まりを逆格子と呼び、原点から各点へ向かう矢印を逆格子ベクトルと呼ぶ。先ほどの $\mathbf{b}_1, \mathbf{b}_2$ は、この逆格子の基本ベクトルに相当する。逆空間の印である逆格子点の1つ1つが、すべての格子点上で波の山がぴったり揃う波に対応している。逆に、印から外れた位置の波数を選ぶと、格子点ごとに波の山から位相がズレていくことになる。実空間の位置を $\mathbf{a}_1, \mathbf{a}_2$ の整数倍で表したのと全く同様に、逆格子の点も整数 $m', n'$ を用いて次のように表すことができる。

$$\mathbf{G}=m'\mathbf{b}_1+n'\mathbf{b}_2 \tag{8}$$

波数の地図で点を選ぶ

グラフェンの $\mathbf{b}_1=(x,y)$ の成分を求めるには、式(4)の $\mathbf{a}_1, \mathbf{a}_2$ の成分を関係式(7)の1行目に代入すればよい。

$$\begin{aligned} a\left(\frac{\sqrt3}{2}x+\frac32y\right)&=2\pi\\ a\left(-\frac{\sqrt3}{2}x+\frac32y\right)&=0 \end{aligned} \tag{9}$$

二式を足すと $x$ の項が消去され、$3ay=2\pi$ より $y=\frac{2\pi}{3a}$ が求まる。これを二式目に代入すれば $x=\frac{2\pi}{\sqrt3a}$ が得られる。$\mathbf{b}_2$ についても同様に計算すると、以下の結果が得られる。

$$\begin{aligned} \mathbf{b}_1&=\left(\frac{2\pi}{\sqrt3a},\frac{2\pi}{3a}\right)\\ \mathbf{b}_2&=\left(-\frac{2\pi}{\sqrt3a},\frac{2\pi}{3a}\right) \end{aligned} \tag{10}$$

2本のベクトルの長さは、ともに $\vert{}\mathbf{b}_1\vert{}=\vert{}\mathbf{b}_2\vert{}=\frac{4\pi}{3a}$ である。この2本が形成する逆格子も、実空間と同様に三角格子の構造を持っている。逆格子ベクトル $\mathbf{G}$ の分だけ離れた2つの波数 $\mathbf{k}$ と $\mathbf{k}+\mathbf{G}$ は、どの格子並進に対しても完全に同じ位相因子を与える。したがって、これらを位相のずれ方が等しい同等なグループとしてひとまとめに分類することができるのだ。

05

波数を一つの六角形にまとめる

波数空間は無限に広がっているが、逆格子ベクトル $\mathbf{G}$ だけ離れた波数は、物理的に同じ位相変化をもたらす同等な状態であった。同じ性質を重複して数えるのを避けるため、各同等グループから原点に最も近い代表的な波数だけを1つずつ残して集約したい。たとえば、$\mathbf{b}_1$ の近くにある点 $\mathbf{k}$ から $\mathbf{b}_1$ を引けば、性質を保ったまま原点の近くへ平行移動できる。原点そのままの距離と $\mathbf{b}_1$ を引いた距離の境界線は、原点と $\mathbf{b}_1$ を結ぶ線分の垂直二等分線である。原点の周りを取り囲む6つの逆格子点に対して、それぞれ垂直二等分線を引いてみよう。すると、原点を中心とした美しい正六角形の領域が切り取られる。この内部にある波数は、他のどの逆格子点よりも原点に近い。この領域を第一ブリルアンゾーンと呼ぶ。ゾーン外のどんな波数であっても、適切な逆格子ベクトル $\mathbf{G}$ を引き算すれば、必ずこの六角形の中へ移すことができる。境界線や頂点の上では、複数の逆格子点からの距離が等しくなる。特に、正六角形にある6つの角の点に注目してみよう。右端の角をK点と名付け、逆格子ベクトルの分だけ移動させてみよう。$\mathbf{b}_2$ を足すと左上の角へ、そこから $\mathbf{b}_1$ を引くと左下の角へ移る。つまり、6つの角のうち1つおきに並ぶ3つの角は、逆格子ベクトルによって互いに移り変わる等価なグループである。一方、反対側の角であるK'点から出発して $\mathbf{b}_1$ を足すと右上、そこから $\mathbf{b}_2$ を引くと右下の角へ移る。こちらも残りの3つで1つのグループを作る。整数倍の $\mathbf{b}_1, \mathbf{b}_2$ をどのように組み合わせても K から K' へ到達することはできず、この2つのグループは独立したままである。前者のグループを K点、後者のグループを K'点 と呼ぶ。つまり、第一ブリルアンゾーンの6つの頂点は、K と K' という本質的に異なる2種類のグループに分かれているのだ。中心 $\Gamma$ や辺の中点 M、頂点 K, K' は、電子の波の性質を決定づける目印となる。各点の座標を計算してみよう。辺の中点 M は、原点 $\Gamma$ と $\mathbf{b}_1$ の中間地点であるため、

波数を原点へ寄せ、残る範囲の境界を引く。Γ は原点を表す。
$$\mathbf{M}=\frac12\mathbf{b}_1 =\left(\frac{\pi}{\sqrt3a},\frac{\pi}{3a}\right)$$

である。右端の角 K は、原点 $\mathbf{0}$、$\mathbf{b}_1$、$-\mathbf{b}_2$ の3点から等距離にあり、この3点が作る正三角形の重心に相当する。

$$\mathbf{K} =\frac{\mathbf{0}+\mathbf{b}_1-\mathbf{b}_2}{3} =\left(\frac{4\pi}{3\sqrt3a},0\right) \tag{11}$$

反対側の角 K' は、座標の符号を反転させればよい。

$$\mathbf{K}'=-\mathbf{K} =\left(-\frac{4\pi}{3\sqrt3a},0\right) \tag{12}$$

K から K' への移動ベクトルを $\mathbf{b}_1, \mathbf{b}_2$ で表すと、

$$\mathbf{K}'-\mathbf{K} =-2\mathbf{K} =-\frac23\mathbf{b}_1+\frac23\mathbf{b}_2 \tag{13}$$

右端の K と、反対側の −K を、逆格子ベクトルだけ動かす。

となる。係数の $-\frac{2}{3}$ と $\frac{2}{3}$ は整数ではないため、この移動は逆格子ベクトルにならない。したがって、6つの角はKとK'という2つの異なる同等グループに明確に分かれることが証明される。炭素間の結合長 $a=0.142\text{ nm} = 1.42\text{ \AA}$ を用いると、この第一ブリルアンゾーンの面積は、

$$\frac{8\pi^2}{3\sqrt3a^2} \approx 753.6\text{ nm}^{-2} = 7.536\text{ \AA}^{-2}$$

と算出される。

距離・座標を開く
逆空間の距離
区間式nm⁻¹Å⁻¹
Γ–M$\frac{2\pi}{3a}$14.751.475
Γ–K$\frac{4\pi}{3\sqrt3\,a}$17.031.703
M–K$\frac{2\pi}{3\sqrt3\,a}$8.520.852
隣り合う K–K′(一辺)$\frac{4\pi}{3\sqrt3\,a}$17.031.703
K–K(同じ組の角)$\frac{4\pi}{3a}$29.502.950
向かい合う K–K′$\frac{8\pi}{3\sqrt3\,a}$34.063.406
隣り合う逆格子点$\frac{4\pi}{3a}$29.502.950
b₁ と b₂ の先端の間$\frac{4\pi}{\sqrt3\,a}$51.095.109
向かい合う辺の間隔$\frac{4\pi}{3a}$29.502.950

六角形の面積は $\dfrac{8\pi^2}{3\sqrt3\,a^2}$ で、約 $753.6\,\mathrm{nm}^{-2}=7.536\,\text{Å}^{-2}$ になる。

座標(右向きが x、上向きが y)
点・ベクトル$(k_x,k_y)$
Γ$(0,0)$
M$\left(\frac{\pi}{\sqrt3\,a},\frac{\pi}{3a}\right)$
K · 0°$\left(\frac{4\pi}{3\sqrt3\,a},0\right)$
K · 120°, 240°$\left(-\frac{2\pi}{3\sqrt3\,a},\pm\frac{2\pi}{3a}\right)$
K′ · 180°$\left(-\frac{4\pi}{3\sqrt3\,a},0\right)$
K′ · 60°, 300°$\left(\frac{2\pi}{3\sqrt3\,a},\pm\frac{2\pi}{3a}\right)$
$\mathbf b_1,\mathbf b_2$$\left(\pm\frac{2\pi}{\sqrt3\,a},\frac{2\pi}{3a}\right)$

距離と座標は、の基本ベクトルから求めた。

06

Γ・M・Kを選ぶと、蜂の巣の上の波はどう変わるか

06 Γ・M・Kを選ぶと、蜂の巣の上の波はどう変わるか波数空間の中心 $\Gamma$ から、辺の中点 M、そして頂点 K へと波数を動かしてみよう。原点 $\Gamma$ から離れるにつれて波数は大きくなり、対応する波の波長は短くなる。また、波数の向きを変えることで、実空間を伝わる波の進行方向も変化する。これらを蜂の巣格子の上に重ね合わせると、各炭素原子における波の位相の違いが明確に描き出される。特に重要なのは K点と K'点における波の挙動の違いだ。波数を K から K' へ切り替えると、格子全体の縞模様の波長は保たれたまま、原子の並び沿った位相の回転方向がちょうど逆転する。この性質が、グラフェン特有の電子状態を決定づける鍵となる。

波数を選ぶ
位相を見るAの列
蜂の巣で線を引いた四つのAを、下に並べている。矢印の角度は位相 $\mathbf{k}\cdot\mathbf{r}$ で、右向きを0として反時計回りに測る。
波数・波長の数値

電子のエネルギーはどう決まるか

原子の結晶構造から、蜂の巣格子の周期性と電子の波の位相の関係が明らかになった。では、この格子の中を動き回る電子は、どのようなエネルギーを持つのだろうか。冒頭で触れた「電子が質量を持たない粒子のように振る舞う」という独特な性質を解き明かすには、波数を変えたときにエネルギーがどう変化するかというエネルギーバンド構造を算出する必要がある。各炭素原子の電子軌道を出発点とし、隣り合う原子間を電子が飛び移る効果を考慮する近似手法を強結合近似と呼ぶ。この手法を蜂の巣格子に適用し、波数ごとのエネルギーを求める。特に、ブリルアンゾーンの頂点である K点および K'点の近傍でそのバンド構造の形状を調べたとき、なぜグラフェンの電子が質量ゼロの粒子のように振る舞うのか、その驚くべき物理的理由が明らかになるのである。

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