Home/ 基礎から学ぶ/ ラマンスペクトル
EN/日本語

グラフェンのラマンスペクトル

グラフェンが一層なのか二層なのか、結晶に欠陥があるのか、あるいはひずみやドーピングが生じているのか。こうした情報を詳しく調べようとすれば、原子レベルの構造観察や電子状態・電気特性の計測など、目的に応じた個別の高度な測定が必要になる。

ところがグラフェンでは、レーザーを当てて散乱した光を測るだけで、こうした情報の多くを読み取ることができる。その手がかりとなるのが、ラマンスペクトルである。

なぜ一本のラマンスペクトルから、これほど異なる情報を読み取ることができるのだろうか。

01

横軸は、光が失ったエネルギーを表す

ラマン散乱では、入射光と散乱光の間にわずかな周波数差が生じる。入射光と散乱光の角振動数をそれぞれ $\omega_i$、$\omega_s$ とすると、ストークス散乱では $\omega_s<\omega_i$ となり、光はその差に相当するエネルギーを失う。

分光測定では、この周波数差を $\mathrm{cm}^{-1}$ の単位に換算したラマンシフトをスペクトルの横軸にとる。

$$\tilde{\nu}\,[\mathrm{cm}^{-1}]=\frac{\omega_i-\omega_s}{2\pi c}\tag{1}$$

同じ差をエネルギーで表せば、

$$\Delta E=\hbar(\omega_i-\omega_s)=hc\tilde{\nu}\tag{2}$$

となる。たとえば、

$$1580\ \mathrm{cm}^{-1}\longleftrightarrow196\ \mathrm{meV}$$

のように、ラマンシフトとエネルギー差は一対一に対応し、式(2)によって互いに換算できる。スペクトルの右側にあるピークほど、光がグラフェンへ渡したエネルギーが大きい。

図のスペクトルを見ると、1580 $\mathrm{cm}^{-1}$ 付近と 2700 $\mathrm{cm}^{-1}$ 付近に大きなピークが現れ、1350 $\mathrm{cm}^{-1}$ 付近のピークは弱い。1350 $\mathrm{cm}^{-1}$ 付近を D バンド、1580 $\mathrm{cm}^{-1}$ 付近を G バンド、2700 $\mathrm{cm}^{-1}$ 付近を 2D バンドと呼ぶ。

G、D、2D バンドのいずれにおいても、光が失ったエネルギーを受け取っているのはグラフェンの格子振動である。

02

ラマンピークをフォノン分散に結びつける

グラフェンの炭素原子は互いに結合しているため、一個ずつ独立に動くのではなく、多数の原子がまとまって振動する。結晶中のこの集団振動を量子として扱ったものがフォノンである。

角振動数 $\omega$ のフォノン一個は、

$$E_{\mathrm{ph}}=\hbar\omega$$

のエネルギーを持つ。フォノンを一個作る散乱では、そのフォノンが受け取った分だけ光のエネルギーが小さくなる。ラマンシフトが格子振動のエネルギーと結びつくのはこのためである。

結晶中の振動には、エネルギーだけでなく空間的な振動パターンの違いもある。単位胞を移ったときに振動の位相がどれだけ変化するかを表すのが、フォノンの波数ベクトル $Q$ である。

この波数 $Q$ とフォノンの振動数の関係を描いたものがフォノン分散である。グラフェンの単位胞には A、B の二つの炭素原子があり、それぞれ三方向に動けるため、フォノン分散には六本の枝が現れる。

Γ

ここで $\Gamma$ は波数がゼロ($Q=0$)の点であり、各単位胞で同じ振動パターンが同じ位相で繰り返される。$\Gamma$、K、M は、電子バンド構造にも現れる逆格子空間の点である。

ラマンスペクトルの各ピークをフォノン分散に対応させてみよう。G バンドには $\Gamma$ 付近の面内光学フォノンが関与し、D バンドと 2D バンドには K 付近の面内光学フォノンが関与する。

G に関わるフォノンの波数は $Q\simeq0$ であるのに対し、D と 2D に関わるフォノンは大きな波数を持つ。この違いが効いてくるのは、散乱ではエネルギーだけでなく波数もつり合わなければならないからである。

03

G・D・2D では、波数のつり合わせ方が違う

光散乱では、エネルギーだけでなく波数もつり合わなければならない。光がグラフェンへ渡せる波数は、入射光と散乱光の波数ベクトルの差で決まる。光の波数の大きさは $(2\pi/\lambda)$ であり、この差は入射光と散乱光が反対向きのときに最大となるため、その上限はおよそ $(4\pi/\lambda)$ である。たとえば励起波長 514 nm の光を用いた場合、

$$|\Delta k_{\mathrm{light}}|\lesssim\frac{4\pi}{514\ \mathrm{nm}}\simeq0.024\ \mathrm{nm}^{-1}\tag{3}$$

にとどまる。

一方、グラフェンの $\Gamma$ から K までの距離は約

$$|\Gamma K|\simeq17\ \mathrm{nm}^{-1}$$

である。

光が渡せる波数は、$\Gamma$–K の距離の約 700 分の 1 しかない。逆格子空間の尺度では、光が受け渡せる波数はほぼゼロとみなせる。

そのため、欠陥などが波数を補わず、フォノンを一個だけ作る場合には、そのフォノンの波数もほぼゼロでなければならない。$\Gamma$ 付近のフォノンを使う G バンドは、この条件を満たす。

これに対し、D バンドに関係するフォノンは K 付近にあり、そのまま一個作るだけでは波数がつり合わない。周期的な結晶では原子配列の周期性によって波数保存に強い制約がかかるが、欠陥や端ではその周期性が途切れるため、この制約が緩み、K 付近のフォノンが持つ大きな波数も散乱過程に取り込めるようになる。

フォノンが持つ波数を $Q$、欠陥や端が散乱過程にもたらす波数変化を $Q_d$ とすれば、D バンドでは散乱過程全体として

$$Q+Q_d\simeq0$$

と波数をつり合わせることができる。このため D バンドは、欠陥や端がある場所で現れやすく、欠陥の少ないグラフェンの内部では弱くなる。

2D バンドでは、欠陥の代わりに二個のフォノンが関わる。二個のフォノンが反対向きに近い波数を持てば、

$$Q_1+Q_2\simeq0$$

となるため、欠陥がなくても波数をつり合わせられる。二つのフォノンの波数は打ち消し合うが、二つが受け取るエネルギーは足し合わされる。そのため、2D バンドは欠陥がなくても現れ、D バンドのおよそ二倍のラマンシフトの領域にピークを持つ。

04

波数保存だけでは、スペクトルは決まらない

ただし、波数保存から分かるのは、その散乱過程が波数の条件を満たすかどうかまでである。同じ条件を満たす過程が複数あっても、それらが同じ強さでラマンスペクトルに現れるわけではない。

グラフェンではラマン散乱の起こりやすさに電子状態も関わるため、同じ波数条件を満たしていても、どの電子状態が関与するかによって散乱の強さは大きく変わる。

ここで、K と K′ の近くにあるディラックコーンが効いてくる。

フォノン分散が、どの波数にどんな振動数のフォノンが存在するかを示し、波数保存が散乱過程を波数の面から絞り、電子状態がその中でどの散乱が起こりやすいかを左右する。

格子や電子状態が変われば、その影響がピークの位置、強さ、幅、形に現れる。

だから一本のラマンスペクトルから、層数、欠陥、ひずみ、ドーピングといった異なる情報を読み取ることができる。

← 基礎から学ぶ に戻る