ラマン散乱の古典論

赤いレーザーポインターの光を壁に当てれば、返ってくる光も赤い。緑のレーザーなら緑である。ところが、返ってきた光を詳しく調べると、元の色からわずかにずれた光が、ごく少しだけ混じっている。割合にして、およそ一千万分の一。このわずかなずれの大きさは物質内部の振動数に対応しているため、物質を見分ける手がかりになる。では、当てた光にはなかった色がなぜ生まれるのだろう。このページでは古典電磁気学を使い、色がずれる仕組み、散乱強度、そしてどの振動が観測されるかを決める選択則まで、式を追って考える。

散乱光はなぜ色を変えるのか

鍵は分極率、すなわち電場に対する電子雲の変形しやすさにある。分子振動によって分極率が周期的に変わると、散乱光に変調がかかる。形だけ見ればAMラジオと同じで、元の周波数の両側に新しい成分が現れる。低い側がストークス光、高い側が反ストークス光である。以下では、この仕組みを平面電磁波と振動する分極率から式で追う。

光は電場としてやってくる

まず、やってくる光を式にする。光は電磁波であり、レーザーはほぼ単色なので、分子の収まるごく狭い領域では入射光を一本の平面波として扱える。空間に固定した座標を $x,y,z$ とし、その一点での入射電場ベクトルを $\boldsymbol{E}_{\mathrm{i}}(t)$ と書く。電場の振幅を $E_{\mathrm{i}0}$、電場の振動する向きを表す長さ1のベクトル(偏光ベクトル)を $\boldsymbol{e}_{\mathrm{i}}$、入射光の角振動数を $\omega_{\mathrm{i}}$ とすると、

$$\boldsymbol{E}_{\mathrm{i}}(t) = E_{\mathrm{i}0}\,\boldsymbol{e}_{\mathrm{i}}\cos\omega_{\mathrm{i}} t \tag{1}$$

偏光ベクトルは各軸方向の成分を持ち、

$$\boldsymbol{e}_{\mathrm{i}}=\begin{pmatrix} e_{\mathrm{i}x} \\ e_{\mathrm{i}y} \\ e_{\mathrm{i}z} \end{pmatrix} \tag{2}$$

と書ける。後で散乱されて出ていく光を扱うときは、その偏光ベクトルを $\boldsymbol{e}_{\mathrm{s}}$、角振動数を $\omega_{\mathrm{s}}$ とする。

電場が電子雲をゆがめる

この電場が分子に何をするか。電場がかかっても、分子の形、つまり原子核の並びそのものが組み変わるわけではない。動くのは電荷の分布のほうだ。分子の中の正電荷と負電荷は電場から逆向きの力を受け、正電荷は電場の向きへ、負の電子雲は反対向きへと、互いに反対側へずれる。こうして正負の電荷の中心が分離し、電荷の偏りが生まれる。これが誘起双極子であり、電場が強いほど大きくずれるので、双極子は電場に比例する。

向きの込み入った話は後回しにして、まずは大きさだけのスカラーで見る。生じる誘起双極子の大きさを $\mu(t)$ とすると、

$$\mu(t) = \alpha\,E_{\mathrm{i}0}\cos\omega_{\mathrm{i}} t$$

比例定数 $\alpha$ が、先ほど出てきた分極率にあたる。電子雲が変形しやすいほど $\alpha$ は大きい。

α₀ = 1.00
電子雲 (−) 原子核 (+) 誘起双極子 μ

ここで分極率 $\alpha$ が時間によらない定数 $\alpha_0$ なら、双極子は入射光と同じ角振動数 $\omega_{\mathrm{i}}$ でしか揺れない。そして同じ角振動数で揺れる双極子は同じ角振動数の光しか放たないので、散乱光の色は入射光のまま変わらない。これがレイリー散乱である。色がずれるには、$\alpha$ 自身が時間とともに変化しなければならない。そしてそれを揺らすのが、分子自身の振動だ。

振動する分極率

では、分子振動がどのように分極率を変えるのかを見よう。分子には、いくつかの決まった揺れ方がある。原子核が平衡位置からずれると、それに応じて電子雲の形も変わるので、分極率も変わる。つまり、分極率は原子核の変位に応じて変化する。

分子の決まった揺れ方それぞれを基準モードと呼び、$k=1,2,\dots$ と番号づける。基準モードとは、分子全体の込み入った振動を独立な揺れ方に分解した一つ一つのことだ。モード $k$ について、原子が平衡位置からその揺れの向きにどれだけずれたかを表す量を基準座標 $Q_k$ とし、静止状態を $Q_k=0$ と定める。すると分極率はこのずれの関数 $\alpha(Q_k)$ になる。

分子振動の振幅は小さい。そこで、$\alpha(Q_k)$ のグラフ全体ではなく、平衡点 $Q_k=0$ の近くに注目する。曲線は一点のごく近くでは、その点での接線とほとんど重なる。つまり、$\alpha(Q_k)$ は平衡点での値と傾きだけで近似できる。一般の関数について、小さなずれ $x$ に対して $f(x)\simeq f(0)+f'(0)x$ と書くのと同じである。

$$\alpha(Q_k)\simeq\alpha_0+\left(\frac{\partial\alpha}{\partial Q_k}\right)_{0}Q_k \tag{3}$$

$\alpha_0$ は平衡位置での分極率、$(\partial\alpha/\partial Q_k)_0$ は $Q_k=0$ での傾きである。原子核が角振動数 $\omega_k$ で調和振動し、その振幅を $Q_{k0}$ とすれば、基準座標は時間とともに

$$Q_k(t)=Q_{k0}\cos\omega_k t \tag{4}$$

と変化する。これをに入れると、分極率は平衡値 $\alpha_0$ のまわりで、角振動数 $\omega_k$ で周期的に変化する。

$$\alpha(t)=\alpha_0+\alpha_k\cos\omega_k t,\qquad \alpha_k=\left(\frac{\partial\alpha}{\partial Q_k}\right)_{0}Q_{k0} \tag{5}$$

ここで、分極率が揺れる幅を定数 $\alpha_k$ とまとめた。$\alpha_k$ は時間の関数ではなく、分極率が平衡値のまわりをどれだけの幅で揺れるかを表す定数で、その大きさを決めているのは平衡点での傾き $(\partial\alpha/\partial Q_k)_0$ である。この傾きが、後で選択則そのものになる。

双極子に含まれる周波数

ここまでで、電場は $\omega_{\mathrm{i}}$、分極率は $\omega_k$ で振動することが分かった。誘起双極子は両者の積 $\mu=\alpha E$ で決まる。そこでに代入すると、

$$\mu(t)=\big(\alpha_0+\alpha_k\cos\omega_k t\big)E_{\mathrm{i}0}\cos\omega_{\mathrm{i}} t \tag{6}$$

角振動数の違う二つの余弦の積が現れた。この積にどんな周波数が潜んでいるかを取り出したい。そこで、積を和に開く三角関数の公式

$$\cos\omega_k t\,\cos\omega_{\mathrm{i}} t = \tfrac12\left[\cos(\omega_{\mathrm{i}}-\omega_k)t + \cos(\omega_{\mathrm{i}}+\omega_k)t\right]$$

を使う。すると、

$$\mu(t)=\underbrace{\alpha_0E_{\mathrm{i}0}\cos\omega_{\mathrm{i}} t}_{\text{Rayleigh}}+\tfrac12\alpha_k E_{\mathrm{i}0}\Big[\underbrace{\cos(\omega_{\mathrm{i}}-\omega_k)t}_{\text{Stokes}}+\underbrace{\cos(\omega_{\mathrm{i}}+\omega_k)t}_{\text{anti-Stokes}}\Big] \tag{7}$$

第一項は入射光と同じ $\omega_{\mathrm{i}}$ で振動し、レイリー散乱を作る。残る二項は、$\omega_{\mathrm{i}}-\omega_k$ と $\omega_{\mathrm{i}}+\omega_k$ という新しい周波数を持つ。低い側がストークス光、高い側が反ストークス光である。分極率の振動が入射光に変調をかけ、和と差の側帯波を生む。先ほどのAMラジオとの対応が、ここで式として現れた。側帯波の振幅につく $\tfrac12$ は、の係数に由来する。

方向を含める:ラマンテンソル

ここまで分極率を一つの数として扱ってきた。色のずれが生じる仕組みを見るだけなら、それで十分だった。だが実際の分子では、電場をかける向きによって電子雲の変形しやすさが異なり、ある向きの電場が別の向きの双極子成分を生むこともある。この方向の関係を表すため、分極率を二階のテンソル $\boldsymbol{\alpha}$ として扱う。スカラーの $\mu=\alpha E$ が一つの数を掛ける関係だったのに対し、テンソルは電場ベクトルから双極子ベクトルを求める関係を表す。

では、その操作を成分で書くとどうなるか。$x$ 方向にかけた電場は、$x$ 方向の双極子だけでなく、$y$ や $z$ 方向の双極子も生みうる。逆に言えば、双極子の $x$ 成分 $\mu_x$ には、$x$ 方向の電場からの寄与だけでなく、$y$ 方向、$z$ 方向の電場からの寄与も混じる。それぞれの寄与は、もとのスカラーの $\mu = \alpha E$ と同じく、分極率の成分と電場の成分の積で書ける。入射電場の各成分は振幅 $E_{\mathrm{i}0}$ と向き $e_{\mathrm{i}\sigma}$ に分けられるので、$x$ 方向の電場成分は $E_{\mathrm{i}0}e_{\mathrm{i}x}$、$y$ 方向は $E_{\mathrm{i}0}e_{\mathrm{i}y}$、というように書ける。三つの寄与を足すと、

$$\mu_x = E_{\mathrm{i}0}\left(\alpha_{xx}\,e_{\mathrm{i}x} + \alpha_{xy}\,e_{\mathrm{i}y} + \alpha_{xz}\,e_{\mathrm{i}z}\right)\cos\omega_{\mathrm{i}} t$$

ここで $\alpha_{xx}$ は $x$ 方向の電場が $x$ 方向の双極子を作る効きやすさ、$\alpha_{xy}$ は $y$ 方向の電場が $x$ 方向の双極子を作る効きやすさを表す。$\mu_y$ も $\mu_z$ も同じ形で書ける。これを毎回三本書くのは煩いので、$x,y,z$ のどれかを指す添字 $\rho,\sigma$ を導入して一本にまとめる。

$$\mu_\rho(t) = \sum_\sigma \alpha_{\rho\sigma}\,E_{\mathrm{i}0}\,e_{\mathrm{i}\sigma}\cos\omega_{\mathrm{i}} t \tag{8}$$

和 $\sum_\sigma$ は $\sigma=x,y,z$ について足すという意味だ。成分は $\alpha_{\rho\sigma}=\alpha_{\sigma\rho}$ という対称性を持ち、独立な成分は六つである。

分極率が時間変化する理屈はスカラーのときと同じだが、平衡点での傾きは方向の組 $(\rho,\sigma)$ ごとに違う値を持つ。この成分ごとの傾きを並べた表が、モード $k$ のラマンテンソル $\boldsymbol{R}_k$ である。その振動が分極率をどの向きにどれだけ変えるかを記録した量だ。

$$(R_k)_{\rho\sigma} = \left(\frac{\partial\alpha_{\rho\sigma}}{\partial Q_k}\right)_0 \tag{9}$$

複数のモードが同時に揺れうるので、テンソル成分の時間変化はすべてのモードの寄与を足して、

$$\alpha_{\rho\sigma}(t) = (\alpha_0)_{\rho\sigma} + \sum_k (\alpha_k)_{\rho\sigma}\cos\omega_k t,\qquad (\alpha_k)_{\rho\sigma} = (R_k)_{\rho\sigma}\,Q_{k0} \tag{10}$$

と書ける。これをに代入し、スカラーのときとを使えば、

$$\begin{aligned}\mu_\rho={}&\underbrace{\sum_\sigma(\alpha_0)_{\rho\sigma}E_{\mathrm{i}0} e_{\mathrm{i}\sigma}\cos\omega_{\mathrm{i}} t}_{\text{Rayleigh}}\\&+\tfrac12\sum_\sigma\sum_k(\alpha_k)_{\rho\sigma}E_{\mathrm{i}0} e_{\mathrm{i}\sigma}\Big[\underbrace{\cos(\omega_{\mathrm{i}}-\omega_k)t}_{\text{Stokes}}+\underbrace{\cos(\omega_{\mathrm{i}}+\omega_k)t}_{\text{anti-Stokes}}\Big]\end{aligned} \tag{11}$$

は長くなったが、スカラーで得たとまったく同じ構造である。違いは、いま方向と偏光の情報を担っていることだけだ。

放射:双極子から散乱強度へ

ここまでで誘起双極子がどの周波数で揺れるかは分かった。次に知りたいのは、その双極子がどれだけの強さで光を放つかだ。の三つの項はそれぞれ $\omega_{\mathrm{i}}$、$\omega_{\mathrm{i}}-\omega_k$、$\omega_{\mathrm{i}}+\omega_k$ で放射する。いま見ている項の散乱角振動数をまとめて $\omega_{\mathrm{s}}$ と書こう。

電磁波を放つのは、揺さぶられる電荷の加速度である。双極子が $\cos\omega_{\mathrm{s}} t$ で振動するとき、加速度はそれを時間で二階微分したものだから、$\omega_{\mathrm{s}}^2$ がかかる。双極子放射では放射電場がこの加速度に比例するので、電場にも $\omega_{\mathrm{s}}^2$ が現れる。

点状の波源から出た波は球面状に広がる。球の表面積は $r^2$ に比例して増えるので、単位面積あたりの強度は $1/r^2$ で減る。強度は電場振幅の二乗に比例するから、電場振幅は $1/r$ で減る。また、波が距離 $r$ を光速 $c$ で進むには $r/c$ の時間がかかるため、観測点ではその分だけ位相が遅れる。

偏光のつながりを一つの量にまとめておきたい。そこで散乱テンソル $\boldsymbol{a}$ を導入する。これは入射偏光 $\boldsymbol{e}_{\mathrm{i}}$、散乱偏光 $\boldsymbol{e}_{\mathrm{s}}$、散乱の振幅の関係をまとめた量で、と見比べれば、レイリーの項では $\boldsymbol{a}=\boldsymbol{\alpha}_0$、ラマンの側帯波の項では先ほどの $\tfrac12$ を含めて $\boldsymbol{a}=\boldsymbol{\alpha}_k/2$ にあたる。これを使うと、距離 $r$ 離れた観測点での散乱電場 $E_{\mathrm{s}}$ は

$$E_{\mathrm{s}} \propto \frac{\omega_{\mathrm{s}}^2}{c^2 r}\,(\boldsymbol{e}_{\mathrm{s}}\!\cdot\boldsymbol{a}\cdot\boldsymbol{e}_{\mathrm{i}})\,E_{\mathrm{i}0}\cos\!\Big(\omega_{\mathrm{s}} t-\frac{\omega_{\mathrm{s}}}{c}r\Big) \tag{12}$$

位相の中の $r/c$ は、いま見たとおり波が距離 $r$ を進むのにかかる時間だ。観測される散乱光の強度 $I_{\mathrm{s}}$ は電場振幅の二乗に比例するので、入射光の強度を $I_{\mathrm{i}}$ として両辺を二乗すると、

$$I_{\mathrm{s}}\,r^2 \propto \frac{\omega_{\mathrm{s}}^4}{c^4}\,\big|\boldsymbol{e}_{\mathrm{s}}\!\cdot\boldsymbol{a}\cdot\boldsymbol{e}_{\mathrm{i}}\big|^2\,I_{\mathrm{i}} \tag{13}$$

強度は入射強度 $I_{\mathrm{i}}$ に比例し、散乱テンソルの二乗に比例し、そして散乱角振動数 $\omega_{\mathrm{s}}$ の四乗に比例する。「空はなぜ青いのか」を説明するのと同じ四乗則が、ここにも顔を出している。

どの振動が見えるのか:選択則

まで来たので、ある振動がラマン散乱の光として現れる条件が読める。側帯波の振幅を担っているのは $(\alpha_k)_{\rho\sigma}$、すなわちラマンテンソル $(R_k)_{\rho\sigma}$ であり、これはスカラーので出会った傾き $(\partial\alpha/\partial Q_k)_0$ に比例していた。この傾きは、分子がその振動の向きにわずかに動いたとき分極率がどれだけ変わるかを測る量だから、それがゼロでないことは、振動するにつれて電子雲の変形しやすさが変わることにほかならない。

そこで、モード $k$ についてすべての方向の組 $(\rho,\sigma)$ で傾きがゼロなら、側帯波の振幅は完全に消える。裏を返せば、ラマン散乱で見えるための条件は、どれか一つの成分で傾きがゼロでないこと、すなわち

$$(R_k)_{\rho\sigma}=\left(\frac{\partial\alpha_{\rho\sigma}}{\partial Q_k}\right)_{0}\neq 0\quad\text{for some }(\rho,\sigma) \tag{14}$$

である。一言でいえば、振動したときに電子雲の変形しやすさが変わる振動だけがラマンで見える。これが選択則だ。実際にどれだけ強く見えるかは、入射光と散乱光の偏光方向にも左右される。

CO2 の代表的な振動で確かめる

この選択則を、原子が一直線に並ぶ CO2 の代表的な振動で確かめる。図では各振動について、分極率 $\alpha(Q)$ がどう変わるかを示している。見るべき点は、平衡点での傾き $\partial\alpha/\partial Q$ がゼロかどうかである。ゼロでなければ側帯波が現れ、ゼロなら現れない。

入射電場$E(t)$
×
分極率$\alpha(t)$
=
誘起双極子$\mu(t)=\alpha(t)\,E(t)$
μ(t)の周波数分解
$\omega_{\mathrm{i}}$ (Rayleigh)
$\omega_{\mathrm{i}} - \omega_k$ (Stokes)
$\omega_{\mathrm{i}} + \omega_k$ (anti-Stokes)
レイリー $(\omega_{\mathrm{i}})$ ストークス $(\omega_{\mathrm{i}} - \omega_k)$ 反ストークス $(\omega_{\mathrm{i}} + \omega_k)$

スペクトルの縦軸は $\omega_{\mathrm{s}}^4$ が掛かる前の双極子振幅 $\mu$ なので、ストークスと反ストークスは等高に描かれる。実際の強度差は、この古典モデルだけでは説明できない。

対称伸縮では、両側の酸素が同時に炭素へ近づき、同時に遠ざかる。このとき図の $\alpha(Q)$ は平衡点で傾きを持つため、分極率が振動とともに変わり、側帯波が現れる。非対称伸縮では、片側の結合が伸びると反対側が縮む。変角では、一直線だった分子が「く」の字に曲がる。この二つは、図の $\alpha(Q)$ の傾きが平衡点でゼロなので、ここで用いた一次近似では側帯波が現れない。

傾きがゼロになる理由は、平衡点の両側を比べると直観的に分かる。非対称伸縮では、片側の結合が伸びた形と反対側が伸びた形は、左右を入れ替えただけである。変角でも、上向きに曲がった形と下向きに曲がった形は、鏡に映した関係にある。どちらも $Q$ と $-Q$ で電子雲の形が入れ替わるだけなので、その変形しやすさ $\alpha$ は同じになる。そのため $\alpha(Q)$ は平衡点を挟んで左右対称になり、中央の傾きはゼロになる。対称伸縮では、両方の結合が伸びた形と縮んだ形は同じではないため、電子雲の変形しやすさが変わり、傾きが残る。

ここまでをまとめる

単色の電場が電子雲を変形させ、誘起双極子を作る。分極率が一定なら、双極子は入射光と同じ $\omega_{\mathrm{i}}$ だけで振動し、レイリー散乱が生じる。分子振動によって分極率が $\omega_k$ で変化すると、双極子に $\omega_{\mathrm{i}}-\omega_k$ と $\omega_{\mathrm{i}}+\omega_k$ の成分が加わり、ストークス光と反ストークス光が現れる。この周波数差 $\omega_k$ から、分子の振動数を読み取ることができる。振動がラマンに現れる条件は、平衡点での分極率の傾きがゼロでないことである。また、散乱強度は $\omega_{\mathrm{s}}^4$ に比例する。

古典論はどこで行き詰まるのか

では、ストークス光と反ストークス光の双極子振幅は同じである。さらにでは散乱強度に $\omega_{\mathrm{s}}^4$ が掛かる。したがって古典論では、周波数の高い反ストークス光のほうがわずかに強くなるはずである。

ところが実際には逆で、反ストークス光のほうが弱く、温度を上げると強くなる。この違いは古典論では説明できない。絶対的な散乱強度や共鳴ラマンも、この古典モデルだけでは扱えない。

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別ページでは、ストークス光と反ストークス光の強さがなぜ異なり、その差がなぜ温度で変わるのかを、量子論から考える。共鳴ラマンもそこで扱う。